登山家の田部井淳子さんが、がんであの世に旅だたれてしまいました。

最近は、本当にガンでなくなってしまう方が多いですね。

田部井淳子さんがガンでなくなってしまった経緯、余命、病院、主治医などについて調べてみることにしました。

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田部井淳子さんの経歴やガンになる経緯、余命、主治医、病院

簡単に、田部井淳子さんの経歴をまとめてみました。

名前:田部井淳子(たべいじゅんこ)

生年月日:1939年9月22日

出身:福島県

 

田部井さんが生まれたのは、1939年ということですので、戦争の傷を感じながら少女時代を過ごしたのでしょう。

登山に興味を持ち始めたのが、小学校4年のときに栃木県の那須連峰に登ったことだということです。

ずいぶん小さい頃から、登山家を志していたのですね。

登山家というと、植村直己さんや野口健さんのように20代の頃に人生に行き詰まって山に希望を見出し人が多いイメージだったので、田部井さんが子供の頃から興味を持っていらっしゃったというのは、意外でした。

また、私も今では、休みのときに上高地などに行って軽い登山をしたりすることもありますが、学生の頃は修学旅行などで山登りはいつも取り残されていた記憶が蘇りました^^;

小さい頃から登山を志していたというのは、本当に凄いと思います。

 

脱線してしまったので話を戻します。

田部井さんは、1962年に昭和女子大学を卒業後、社会人として登山活動を続け、登山の実績を積んでいきます。

そして、1975年にはエベレストに女性世界初の登頂に成功。

その業績から、最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞などを受賞されました。

その後は、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、の代表を務められたり、東日本大震災の被災者への支援活動をされたり、と登山だけでなく慈善活動もされていました。

 

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田部井さんが、ガンに気づいたのは、2007年夏にアルメニアで登山をしているときだったそうです。

その時は、胸のしこりがガンであると診断され、そんなに進行していなかったので、手術ですぐに治療できたそうです。

私の叔母も乳がんになってしまい、現在治療しているのですが、乳がんは病院に行くタイミングでだいぶ状況が変わってしまうようです。

私の叔母は脇まで転移してしまっていて、闘病中でなんとか完治してほしいと願っているのですが、田部井さんはこの時点では大丈夫だったようですね。

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しかし、2012年には癌性腹膜炎にかかってしまい、主治医位には余命3ヶ月と診断されてしまったそうです。

余命3ヶ月と診断されて、4年も生き抜いて来られたのは凄いですね。特に、余命3ヶ月なんて診断されてしまったら生きていく気力もなくなってしまうはずですが、田部井さんは抗がん剤で治療しつつ、登山を続けられていたそうです。

田部井さんが、亡くなられた病院は埼玉県川越市の病院だそうです。

田部井さんのように、ものすごい業績を積まれていらっしゃる方は、東京のがんセンターなどで大掛かりな治療を受けられるイメージがありましたが、恐らく田部井さんはそんな大掛かりな治療を受けずにガンを受け入れて最後の4年間を生き抜いて生きたのでしょうね。

ガンの中でも大好きな登山を続けられてこられた、田部井さんは77歳で亡くなられてしまいましたが、大往生といっていいと思います。

田部井さんのご冥福をお祈りいたします。

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